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2009年生まれの愛猫ハルカが突然、2024年3月16日、何も口にしなくなった。

かねてのハルカは、カリカリをおよそ20分に一度食するほどの食いしん坊である。飼い猫3匹の内、一番体が大きいが、成猫になってからは、ずっと体重4kg超あたりを維持し健康的な太り方と言えた。

気付いたきっかけは、朝、ハルカがじっと座ったままその場を動かないでトイレも食事もしない、水も飲まない、一切の生きる為の動きを停止したようだった。今いるところが騒がしいと、静かな2階の窓際に移動し、じっとしているだけ。移動した痕跡として何も口にしていないからこその吐き戻しが、500円玉の大きさで透明な泡状のものが4、5個所であった。

この急変は、ただならぬ状況である。猫という生き物が死に向かって準備しているような、猫独特の死との向き合い方を感じざるを得ない。

15年前のハルカとの衝撃的な出会いの日はもちろん、一緒に過ごしてきたこの年月を思い、ハルカを失うことは、悲しい。悲しすぎる。飼い初めから覚悟はあったにせよ、ことのほか、気持ちが沈み込んだ。

病院で血液検査、抗生剤、点滴を受け、帰宅後の状態はさらに悪化したように、ほとんど動かずたまに寝返りを打つ程度で、呼吸も浅く心拍も弱弱しくなっていった。

血液検査では、白血球が18,800の高い値、しかも猫エイズ陽性であることが判明した。ほかの肝臓や腎臓などは正常値だった。猫の3匹の内、ジュリが猫エイズキャリアであることは分かっていた。喧嘩して感染したのであろう。ハルカに感染させてしまったのは筆者の責任であるが、保護猫の多頭飼いである以上避けるすべはなく、ハルカは許してくれると信じる。

強制的にストローで水を流し込むこと数回、丸二日間で口にしたのは、数ミリリットルの水だけだった。虫の息で全身をさすっても反応がなく、いよいよ死を覚悟した。

それでも、添い寝し数時間おきに強制的に少量の水分補給はつづけた。

三日目の朝、何と、寝込んでいたハルカが目覚めていた。ほとんど動かなかったハルカが起き上がって座っていたのだ。まだ食事もトイレもしなかったが、月曜日の9時の開院に合わせ病院に向かうときは、目はぱっちりと見開き、元気が少し戻ったようだった。生気を取り戻したのかもしれないと、一気に気持ちが楽になった。

病院では2日前の体重より何と、0.5kg増えていた。おそらく何も食べてはいないが、水だけは少量ずつ飲み与えていた結果、その間、トイレはまったくしていなかったからではないかと推測した。病院から帰った数十分後、猫砂に大量のまっ黄色のおしっこをするのを確認した。

病院でいただいた経口の流動食を注射器で流し込んだけれど、吐き戻すこともなく、日向ぼっこしているハルカを眺めながらこのブログを書いている。

追記

10日あまり後のこと。今ではもう、すっかり元のような食いしん坊のハルカに戻った。

猫に噛まれた日

夏場の夜は、ほとんどの窓や引き戸を網戸にして外の冷気を取り入れている。常に逃走のチャンスを狙っている猫たちが前足で網戸をスライドさせ脱走しないように、当然、外からつっかい棒を施している。

いつからだっただろうか、外猫が網戸越しに挨拶に来るようになった。飼っている3匹の猫たちは、いずれも生後間もなく孤独に捨てられたからか、家人以外の人間や車、ピンポンというチャイムの音が大嫌いのようだ。もう、その反応はすさまじい。一匹が猛ダッシュで駆け出すと、後に続いて他の2匹も2階に駆け上がりベッドの下あたりに身を隠してしまう。挨拶にやってくる外猫に対しては、いきなり、ヴワーーーオーーヴオワーーーオーーーーと大音声の唸り声をあげ、網戸越しにシャーシャー猫パンチの応酬がおっぱじまる。近所迷惑になるから、急いで障子を締めお互いの姿が見えない状態にしてしまうのだが、この時、注意が必要だ。特に最初に喧嘩をぱじめた猫は、相手の猫の姿が見えなくなっても勢いが付いた興奮がなかなか冷めない。全身の毛が逆立ち、唸り声もしばらく続き、必ずと言っていいほどかねて仲のいい3匹同士でにらみ合いに発展する。しばらく三つ巴でのヴワーーーオーーヴオワーーーオーーーーと牽制し合う状態が続く。時には、取っ組み合いになる。

つい先日の週末の深夜、ついに筆者の腕が喧嘩の相手にされてしまった。注意はしていたのだが、真夜中のことで、静寂を切り裂く唸り声に飛び起き、障子を閉めようとした右腕にとびかかられてしまった。前足の爪でがっちり固定され、がぶりと2本の牙が腕に突き刺さったまま、前後左右に揺さぶられ、牙が傷口をぐいぐい広げる。後ろ足の爪も容赦もなく腕の裏側をキックする。傷口を流水で洗い、消毒液を掛け応急処置はしたが、翌日には、腕の大半が腫れて傷口が痛みだし、指や手首やひじを曲げる動作に痛みを感じはじめ、最近のマダニからの感染ニュースもあり、怖かったので週明け病院にかかり、化膿止めを処方してもらった。医師が言うには、猫の口の中には人間にはいない細菌がいて注意が必要とのこと。

噛んだ猫は、次の朝には甘えてきた。これが習性というか、そんなものとかと思うことだった。

我が家の猫は、3匹とも拾ってきた猫。

二男が高校生だった頃のこと。

近くの公園に数匹の子猫が捨てられているのを、見てみぬ振りしていた。

お金がかかるからこれ以上飼う気などなかったし、その少し前に愛猫を老衰で亡くしたご近所さんの悲しみが伝わってきていたので尚更。もし、我が家に同じことが起きたらを思い、人間が先か2匹の猫が先かも含め、何とはなしにドーンとのしかかるように身につまされていた。だから公園から気を逸らし避けていた。

でも、そんな思いを知らない高校生の二男は、皮膚がかぶれて汚く異臭を放つ上に、蚤がウジャウジャのやせ細った子猫を段ボールに入れて連れてきてしまった。先輩猫2匹に蚤がうつらないように、翌日かかりつけ医に連れて行くまで箱ごと二男の部屋に隔離し、世話をさせた。

1匹目を連れてきたのも二男だったので、その責任をとり今後は猫たちの世話をしっかりするようにきつく言い渡したが、返事は「分かった」と、いつものように軽かった。どんな由来か知らないが二男は勝手に「ジュリ」と呼んでいた。その呼び名になぜか家内も賛同した。

翌日病院で、全身のかさぶたを取るためと蚤を駆除するため、全身どっぷりと油まみれにされマッサージされ、かさぶたの部分は毛の抜けた地肌があらわになりきれいになった。同時に蚤も窒息し見事に全滅した。さらに半年後には、先輩猫と同様に避妊手術、予防接種もした。でも、猫エイズのキャリアであることを告げられた。ジュリは、2016年10月現在、健康である。

 

ほぼ毎日、団地の山側にある農道を通る。誰も見ていないから、捨てやすいのか年に数回、捨て猫を目撃する。

たった今捨てられたのだろうか。真冬の街灯のない農道の真ん中に数匹の猫の塊。危うく轢いてしまうところだった。つい数時間前までは明るく暖かい場所にいたはずだ。急激な環境の変化にじっと寄り添い兄弟で暖をとるだけが関の山なのか。このままでは別の車に轢かれるだろう。一面畑だらけの農道で車のライトに怯えじっとしている。ゆっくりと近寄る。でも一目散に草むらに逃げ込む猫たち。もうどうすることもできない。

これまで幾度となく連れ帰ろうかと思い車を停めてみるが、生後数か月を過ぎた幼い猫や成猫は、警戒して逃げてしまう。近寄って来てはくれないし、暗闇の中では諦めざるを得ない。目撃してから数日間は、見かけることもあるが次第に姿を見なくなる。

もうこれ以上猫を飼うことは経済的に止めておかないと、と頭では分かっている。そう思い込み飼えないとしながらも、捨て猫を見かけるとつい車を停めてしまう。

 

猫を捨てる人は、どんな思いでここまで来るのだろう。別れ際はさぞ辛かっただろうし、別れた後、しばらくは車を運転しながら涙が出ただろう。ハンドルを揺さ振り悔やんだことだろう。その後も、自分が捨てた猫はどうなったのだろうと思い返すことがあっただろう。道路で車に轢かれた猫を見るたびに猫を捨てたときを思い出して、胸が潰れる思いをするだろう。

 

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脱走は、待つしかない。

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過去に猫のみなさんが脱走した箇所は、一階の窓やサッシの引き戸と玄関である。2階のベランダやサッシ越しに脱走したことはない。3匹とも、屋根伝いに飛び移るには危険性が高いと判断しているらしくその勇気はないらしい。最古参のオスの「あめ」が初めて脱走した時の経験を元に、一階の窓やサッシの引き戸には、外側から厳重につっかい棒を施している。でも、2か所のサッシだけは、生活するうえで締め切るわけにいかないので、つっかい棒はできない。だから、この2か所のサッシの鍵掛けを忘れてはならないのだが、この夫婦はやらかす。

 

勝手に脱走という言葉を使っているが、当たり前だが猫には脱走という言葉の意味など関係ない。特にオスの「あめ」は、例えば、ゴミ袋を外のボックスに仮置きするために東向きのサッシを開ける音がしただけで何処からともなくスーッと近づいてくる。うきうき外に出るつもりで。

 

「あめ」は、日頃から我々夫婦のどちらかがサッシの鍵をかけ忘れていないか、時々チェックしている。例えば、サッシの鍵をかけ忘れたのが金曜日のゴミ出し日だとすると、実際の脱走日は翌日の土曜の夜中だったりする。おそらくあるタイミングというか、日々のルーチーンとして重たいサッシの扉を前足で横にずらしてみているのである。鍵がかかっていないと判断すると、前足でわずかに隙間を作り、鼻先を突っ込んで、徐々に広げ脱出成功となる。外に出た猫がわざわざ閉めはしないので、他の2匹も後追い脱走となる。

 

また、夫婦どちらかの帰宅を車のエンジン音で判断しているらしく、「ハルカ」はお出迎えだけど、「あめ」や「じゅり」は隙あらばと待ち伏せしている。両手に荷物を持って足元が見えない状態で迂闊に扉を開けようなら、その瞬間にするりと脱走をかます

 

3匹とも去勢、避妊の手術済みだが、それでも何となく盛りらしい仕草を見せるときがある。それと関係があるか定かではないが、家の周りに外猫の気配があるときなどは、3匹とも尻尾の毛を逆立てまん丸に膨らませウーウーギャーギャー、東のサッシ、南のサッシ、西側のサッシと移動しガラス越しの追跡となる。外猫が既に遠くに去ってしまったあとでも3か所のサッシをあっち行ったりこっち行ったり、しばらく繰り返す。

 

毎日家の中に閉じ込められている3匹は当然、外を冒険したいらしい。お友達と対面したいらしい。取っ組み合いの喧嘩をしたいらしい。とにかく、年中、外に出たくてたまらないようだ。ケガや感染を避けるため、閉じ込めなければならない実情を気の毒に思う。

 

何となく3匹の気配がないので家中を探し回り、一匹もいなくなっているときは、当然だが、必ずどこかの方角のサッシが10cmほど開いている。掛け忘れていたことに気付いたときにはもう出て行った後だ。毎回反省するが、年に数回、夫婦のどちらかがやらかしてしまう。今では、お互いやらかし済みだから、どちらかの脱走ほう助罪を強く責めたりできなくなった。二人して本当にどんよりと心配な気持ちになる。我が子より猫を思う気持ちの方が強いことに罪悪感を覚える。でも、二人の息子たちには悪いが、間違いない正直な思いであるから仕方がない。猫は人間で言えば、言葉が通じない2歳くらいまでの赤ちゃんと同じだから仕方がないことだと思うようにしている。

 

脱走はこれまで10回は超えるだろう。その都度、夫婦で協力しながら懐中電灯片手に探し回る役と家で待機する役をやる。やらかした方は、落ち着いて家で待つことなどできないので外回り役が多い。でも外回りだからと言っても、例えば、よその家の車の下にいることがわかったとしても、絶対に摑まえることはできない。猫の素早さを上回れるわけがないので当たり前だから無駄なことはしないと決めた。でも、鈴の音や光る眼をたよりに探さないではいられない。ここにいるよと小声で「あめー」、「はるー」、「じゅりー」と家の周りの区画を二回りはする。

 

基本、床の間のサッシを30cmほど開け、待つしかない。それでもただ待つのではなく、小さめの声で「あめー、はるかー、じゅりー」と名前を呼んだり、カリカリの入った缶を上下に振りザッ、ザッと音で誘ったり、隣近所にとり夜中の傍迷惑な、不信な行動となる。

でも必ず、ほとんど何事もなかったように帰ってくる。一匹、あるいは2匹連れだって、ピョンと座敷に飛び乗り帰ってくる。例えばもし、1匹目が帰還したら、待つ体制を変えなければならない。2匹目と3匹目を待つときは、既に帰った猫が再脱走しないように床の間ひと部屋の内側の扉を全て締め切り、その締め切ったひと部屋のサッシだけ開けて待つ。

でも一番最初の脱走で「あめ」は、前後ろすべての爪がもがれ血だらけで首輪なしで、もう帰ってこないなあと諦めかけた3日目に帰ってきたことがあった。だから、逃走したら心配でならない。数十分で帰ってくることもあるが、ほとんどは数時間となる。今までは毎回感激の帰還で済んでいるが、万一、例えば、車の事故を考えれば脱走させる訳にはいかない。

決まって深夜に

3匹の内の唯一オスのあめは、これまで尿路系の発作で3回も病院行きとなった。発症は決まって深夜になった。ネコ砂のほじくり返しが頻繁になり、まったくおしっこが出なくなる。代わりに血がネコ砂に付く。いつものネコ砂のトイレでは出ないので、あめは、場所が悪いのだと判断する。だから、いろんなところでおしっこをし始める。これが何時間か続き、遂に意識がもうろうとなる。ネットで調べこれはただ事じゃないことを初めて知る。慌てて救急病院に連れて行く。1回目は、麻酔をして、おしっこの出る穴に管を挿入し尿路を開ける緊急処置となった。2回目の発症は早かった。今度は掛かりつけの病院で、下腹部(膀胱)を包むようにギュッとつかむと大量のおしっこが出た。先生から与えるエサを変えるしかないと言われた。

 

エサを変えたら症状は出なくなった。専用のエサを切らせば前兆の頻尿の症状が出はじめる。これに対し、2匹のメスは、エサに関係なくこれまで一度も発症したことはない。前兆すらない。ネットにオスとメスの構造の違いがあるからオスが罹りやすいとあった。

ハルカとの出会い

2010年初夏、当時我が家には、その半年ほど前に次男が拾ってきた「あめ」という雄猫がいた。だからといって、2匹目を飼うという発想はなかった。今からひと泳ぎするために行った先での突然のことだったし、心の準備もなかった。その子猫を連れて帰る気は無かった。

 

小雨の降る肌寒い夕方の、まだ明るい時間帯だった。いつもはきれいに清掃されている場所なのに、コンビニ弁当の容器と食べ残しが散乱し、揚げ物の匂いが鼻についた。口の周りが油で汚れたやせ細った一匹の子猫が、何か食べさせろと言わんばかりにだれ彼なくつきまとうので、子供たちや大人たちに遠巻きにされていた。ちょうどのタイミングで真横を通る羽目になった筆者は、子猫のターゲットとなった。しかし、追いかけてくる子猫をかわいそうにと思いながらも、小走りで引き離してプールに向かった。

 

泳ぎながらも何となくその子猫のことが気になった。運良くだれかに拾われていったかもとか、それとも人気のない施設内をさまよいどこかに身を隠してしまったかもとか。いや、既に車に轢かれ命を落としてしまったかもしれない。というようなとりとめのない思いがよぎる。既に入り口で絶ち切った糸なのに、今さら思いめぐらしてもどうしようもない、終わったことなのに。

 

 

 

あにはからんや。すっかり暗くなった出口で、まさかの再開である。まるでずっと筆者を待っていたかのように。ここで多少なり運命を感じないわけがない。足元に体をこすりつけながらフラフラと、グルグル回る。小さくミャーミャー甘えてくる。ガタガタと小刻みに震えるやせ細った体を両手ですくい上げる。まんまと、子猫の術中にはまった。帰路の車中で餌をねだる鳴き声は、次第に強くなり、ターゲットにされた者を脅すかのような強欲さを感じさせた。

 

これが2匹目の猫、ハルカとの出会いである。

生まれて間もない母乳が必要な時期に、母猫と引き離されひもじさを通り越し、コンビニ弁当の塩辛い昆布の佃煮交じりのご飯と、脂っこい魚フライと、とにかく口にできるものであれば何でも口にしたのであろう、ふれあいスポーツランドでのあの日の、フンガフンガとかわいい唸り声を発しながらの食事。命ぎりぎりのすさまじい食事の光景。

 

大人になった今では体重5.2kg。うっかり自動給餌器のカリカリを切らしたりしたら、あの時の生命力丸出しの狂ったような仕草をチラッと垣間見せる。